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株式会社えとじや

マーケティングなんでも相談所

ブランドの本質を掴む ブランドは「ひと」
MARKETING
マーケティングはなぜ楽しいのか

ブランドの本質を掴む
ブランドは「ひと」

文 岡本晋介・写真 松本卓也

 さて、「なぜ楽しいのか」というのとは、ちょっとずれるのかも知れません。より正しくは「なぜ私はブランドマーケティングを楽しいと感じるのか」であり、さらには「これがわからないと楽しくないし、できないとうまくいかないんじゃない?」みたいなことです。
 もちろん、あくまで私の個人的な考えとして、ですが。

 ひとつ前に書いたように、私は、マーケティングとは「ひとがひとにモノを買ってもらうこと」だと定義しています。
 モノ(商品やサービス)を売る、買ってもらうという行為は、突き詰めると「ひととひと」の間に起きていること、ということです。たとえ間にどんなに複雑な媒介=仕組みやメディアが挟まっていたとしても。

「ひと(ブランド)がひと(お客さん)に」

 さて、ことがブランドマーケティングとなると、この片方の「ひと」が、企業やあなたや店舗ではなく、「ブランド」になる。(もう一方のひとは、「お客さん」のままです、もちろん。)
 つまり、

「ひと(ブランド)がひと(お客さん)にモノを買ってもらうこと」

 になるわけです。
 ブランドとはひとである。
 これ、なんとなく、ですが、どうもウケが良くないんですよね。
 「ん??」ってなる方が多い。
 モノや、形のないサービスが「ひと」であるということが、ピンと来ないのかも知れません。しゃべったりしないですしね。
 要するに「ひとだと考えるといろんなことがわかりやすくなりますよ」ということなんですが。
 ブランド化できると、ブランドとして強くなると、こんないいことがありますよ、というのは、数多くあります。
 例えば、なじみや信頼を蓄積できる、愛着や愛情、あこがれなどを醸成できる、結果として競合へのスイッチの確率を下げたり、価格に対するセンシティビティを下げられたり。新製品、姉妹品や別カテゴリへの展開がしやすくなったり、参入コストを下げられたり、というのもあります。さらには、その機能が必要なくなったり、カテゴリそのものが衰退していっても、別の場所で生き続けることができる(ことがある)といったものもありますね。(若い方は知らないかも知れませんが、Luxって、もともとは固形石鹸だったんですよ。HERMESは馬具屋さんだったし。)
 そういうのを、ものすごくベタに表現すると、
 「好きなひと、信頼できるひとから買いたい、同じものなら好きなひとから買いたい、もう一度買ってあげたい、そのひとが出すんだったら使ったことないものでも『いいかも』と思える、試してあげなきゃという気になる、そのひとを応援したいと思ってしまう」
 ということなんだと思います。
 これは、機能や価格が優れているのでリピートする、というのと、少し次元が違いますよね。
 信頼とか、愛情とか、なじみとか、仲良し、とか、そういう、通常、ひとがひとに対して抱く思考や感情。
 だから、ひとだと考えると、わかりやすい、というわけです。
 そして、さらに、強いブランドには、そのブランドならではの一貫したポリシーやこだわり、価値観、性格、志向、好き嫌い、夢、目標などがあります。つまり大義、ですね。だからこそ、大好きになったり(嫌いだと決めることができたり)する。
 これらも、ひとだと考えるとわかりやすいと思うんです。

「ブランド」という「ひと」と付き合う

 さて、じゃ、何が楽しいのか、ですよね。それがお題でした。
 私は、この「ブランド」という「ひと」をひととして眺めたり、そのひとに憑依して考えるのが好きなんです。楽しいんです。
 ブランドXさんなら、どう考えるのか、どうしたいのか、どうすべきか。自分がブランドXさんになったつもりで。
 そして、一歩下がって、ブランドXさんは、何をしてほしいと思っているかを考えるのが。
 さらに、もうひとりの「ひと」=お客さんを眺めて、憑依して、どうしてほしいのか、どういうことを魅力的に感じるのかを考える
 そして、このふたりはどういう関係であるべきか。
 これらを行ったり来たりして考える過程が楽しい。
 ブランドは、名前を付けられて世に出た途端に、ひとりの「ひと」としての人格を与えられる、とすれば、それは、すでにその親である企業からも、担当者からも独立した(無関係ではない、関係は深い、けれど)別人格で、もう企業や担当者の勝手で好き放題にはできない、すべきではない。
 そんな、自分からあまり語ろうとしない存在に対して耳を傾けるのが好きなんです。
 実際の仕事では、ある程度人格が形成されているのに、それが何なのかを明確に定義されていないなどのせいで、不似合いな服を着せられたり、苦手なことや無駄なことをさせられたりしていることが多いので、それを、「あなたはこういうひとですよね、こういうことを目指してるんですよね」とはっきりさせてあげる、とか「ホントはこういうのがやりたかったんじゃないですか?」と問いかけてあげるという作業だったり。
 それを具体的な製品のアイディアに転換したり、デザインやコピーに移入してあげたり。
 また、それらを言語化してひとつのドキュメントに(一旦)封じ込めるのも楽しい。これでいい?これでよかったのかな?大丈夫?うまくつかめてる?とか(ひそかに)案じながら。

「ブランド」という「ひと」と向き合う、ブランドを育てる

 独立した人格を持った「ひと」、この捉え方ができると、ブランドマーケティングはがぜん楽しくなります。
 自分本位、自分の立場だけで考えていると出てこない発想にぶち当たったりできる。視座が変わるので、見えなかったものが見えたりする。ビジネス上のチャレンジの中で、考えることが難しいことの多い、長期的な視野・見通しを得ることができる。ひととしての「夢」を、一緒に考える・見る・妄想することができる。
 逆に、担当者や、たとえ経営者であっても、これができないと、ブランドを壊してしまいます。少なくとも、ブランドの「らしさ」を著しく希釈してしまう。
 自分の会社の「持ち物」だから、何をやってもいい、と思ってしまうんでしょうか。そのブランドに似合わない仕事をさせたりする、持つべきでないラインアップを持たせたり、苦手なカテゴリに参入させたりする。
 もちろん、経営上の、ビジネス運営上の、競合対策上のニーズがあってのことだったんだと思いますが、それにしても…というのをよく目にします。
 これも、独立した人格を持った「ひと」と捉えて考えると避けられる、いい策を紡ぎだせる、少しはましな手を思いつけると思います。
 たとえ話のドツボに嵌ってはいけませんが、せめて「ブランドXさん、こういう課題があるんだけど、手伝ってもらっていい?」くらいの心遣いは必要だよなぁ、と。

 そのように私は思っています(し、実際そうだよな、と思うことが多々あります)というお話でした。